DAW悪戦苦闘記

DAWやMIDIを通じてちまちまとDTMを楽しむ記録+MIDI検定1級到達記

アジカンも気づいた低域問題

私は特にアジカン (Asian Kung-fu Generation) のファンというわけではないけれど、1週間ほど前にバズっていた下記記事は今現在の足元の音楽シーンを如実に反映しているという意味では非常に興味深い、というかちょっと感慨深い印象すら抱かせた。

realsound.jp

J-POPは長らくガラパゴスなどと揶揄されて、ここ数年来特に海外動向に敏感なレコーディング・エンジニアやDJから低域処理の甘さを散々批判されていたように記憶するが、ようやくアジカンのようなメジャー級のミュージシャン自身がこれに気づき始めている状況はちょっと大げさかもしれないが隔世の感がなくもない。

daw-jones.hatenablog.com

上記のインタビュー記事では、そのような高域偏重が日本特有の制作環境に一部起因することや、ヒップホップ全盛時代にリスナー対応を迫られた結果としての低域重視とロック・ジャンル*1の音作りの変容、ストリーミング・サービス隆盛に伴うリスナーやジャンルのボーダーレス化、といった市場変化の背景等々が浮き彫りになっており、プロアマ問わずに音楽クリエーターの方々は必読であろうと思う。

このようなストリーミング消費の時代における、市場競争のボーダーレス化、フラット化に関しては、下記鼎談記事にも詳しい。

gendai.ismedia.jp

同記事中で、

特に今の10代とか20代のアーティストの話を聴いていると、音楽の聴き方が全然違う。J-POPもK-POPもグローバルなポップ・ミュージックも隔たりなくフラットに受容して育ってきている。

という指摘は旧来型J-POP関係者には結構耳が痛い話ではないかと思う。だが星野源などを筆頭に地殻変動が現れているところへ、どちらかと言えば古株の部類に入るアジカンまでもが巻き込まれている(?)状況というのは今の時代を現していてなかなか面白い、と同時にガチでボーダーレス競争に晒されるミュージシャンの世知辛さもちょっぴり感じる次第である。

*1:ヒップホップ全盛で海外ではこのジャンル自体が陳腐化している様相があるとも聞く。逆に日本で80年代に流行った山下達郎竹内まりや角松敏生といったいわゆるシティ・ポップ和製英語)がグローバルに再発見されているとかいう逆パターンもあったりで、こういう国境を超えたダイナミックな動きは一昔前まではまったく考えられなかったように思う。